名古屋高等裁判所 昭和56年(ラ)83号 決定 1981年7月14日
抗告人
串田徳夫
右代理人
吉田允
相手方
山一木材株式会社
右代表者
山崎利一
主文
原決定を取消す。
抗告人において金一〇〇万円の保証を立てたときは、相手方は別紙物件目録記載の不動産につき、譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分をしてはならない。
理由
一抗告の趣旨及び理由
本件抗告の趣旨は、「原決定を取消す。相手方はその所有名義の別紙物件目録記載の不動産につき、譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分をしてはならない。」との裁判を求めるというのであり、抗告理由の要旨は次のとおりである。
1 抗告人は、申立外白井製材所こと白井章が振出した金額五〇〇万円、満期昭和五五年一一月三〇日、振出日昭和五五年六月二三日、支払地豊橋市、振出地右同、支払場所豊橋信用金庫本店営業部、受取人愛知県木材買方協同組合との記載がある約束手形(以下「本件手形」という。)一通を右協同組合から期限後裏書を受け、現に所持している。本件手形は、白井章が昭和五五年六月二三日受取人欄を白地として申立外名徳木材株式会社に振出交付したもので、右株式会社から右協同組合に手形交付の形式で譲渡され、同協同組合が満期に支払場所に呈示したところ、銀行取引停止処分があつたことを理由にその支払を拒絶された。本件手形の受取人欄は抗告人が右愛知県木材買方協同組合から本件手形の期限後裏書を受けた際、右協同組合の名称を記載して白地を補充したものである。
2 前記名徳木材株式会社は、木材の販売を目的とする会社で、抗告人が代表取締役をつとめていたが、同会社は昭和五五年八月一五日名古屋地方裁判所において、破産宣告を受けた。また、白井章は、同年九月一七日、同月二七日に不渡手形を出し、同月二九日銀行取引停止処分を受け倒産した。このため、名徳木材株式会社は白井章からその振出しにかかる約五〇〇〇万円相当の約束手形を受取り、これを銀行等に割引に回していたが、本件手形を含めその全手形が不渡りとなつた。そこで、抗告人は、右各手形割引先から個人資産をもつて手形の買戻をするよう求められたため、とりあえず、愛知県木材買方協同組合から本件手形を買戻し、白井章に対し本件手形債権を取得するに至つた。
3 白井章は、右倒産直前の昭和五五年九月二日その所有にかかる別紙物件目録記載の不動産(以下「本件不動産」という。)を取引先であつた相手方に売却し、所有権移転登記手続をなしたほか、在庫商品もすべて他所に処分してしまい無資力となつた。
右不動産売却行為は他の債権者を害すること明らかであり、相手方は白井章の主取引先として二〇年前から木材の売買取引を通じ白井章の財産状況を熟知していたものであるから、本件不動産を処分するときは債権者を害することを知つていたものである。
4 抗告人は白井章に対して有する本件手形債権は、右詐害行為前の昭和五五年六月二三日発生したものであるから、抗告人は詐害行為取消訴訟を提起し、本件不動産を取戻すべく準備中であるが、相手方が何時本件不動産の所有名義を第三者に移転するかもしれないので、これを防止するため本件仮処分命令を申請した。ところが原決定は、被保全権利を認めるに足りる疎明がなく、かつ、疎明に代えて保証を立てさせることも相当でないとの理由によりこれを却下した。原決定は、被保全権利がないとするのみで、この点に関する明確な理由を付していないが、本件手形が受取人欄を白地として振出され、これが補充されたのは満期後であるという点をとらえて、本件詐害行為時においては、抗告人が白井章に対する手形債権を有しないものとしてその取消権を否定したもののようである。しかし、右却下決定は次のとおり不当であるから、その取消しと抗告の趣旨記載の仮処分の裁判を求める。
5 白地手形が講学上未完成手形といわれ、手形金債権は手形要件がすべて補充された時に発生するということ自体は抗告人も異論はないが、問題は、補充前の将来手形金債権として完成されるべき債権をどのように考え、どのように保護すべきかという点にある。このような将来手形金債権として完成される権利は一種の条件付権利とみるべきであり、現に白地手形による訴提起に時効中断の効力を認めた最高裁判所昭和四一年一一月二日大法廷判決の奥野裁判官の補足意見にも同様な見解が示されている。このような条件付債権であつても民法はこれを保護しているのであるから、白地補充前の権利も当然保護されなければならない。
ところで、詐害行為取消権の基礎となる債権は行為時に成立していなければならないとされているが、その理由は債権者は債権発生当時における債務者の資力を信用の基礎とするものであつて、行為当時まだ存在していない債権は、その行為によつて害せられることはあり得ないからである。しかるに、白地補充前といえども手形振出人は既に前記のような債務を負つているのである。完成、未完成を問わず、約束手形は最終的には振出人の一般財産をその信用の基礎、担保として流通しているのであり、振出人が自ら第三者に補充をまかせて振出したにもかかわらず、振出人の全く関知しないところでなされる補充行為と詐害行為の時間の前後で、その信用、担保を追求できたり、できなくなつたりするという見解には到底承服できない。この点につき、詐害行為取消権の基礎となり得ると認めるかどうかは形式よりも実質を重視すべきだという指針を示した最高裁判所昭和四六年九月二一日判決が参考にされるべきである。
白地手形は銀行等に割引に出される場合、未補充のまま割引かれ、銀行も白地補充することなく取立に出して手形金を決済し、その手形が不渡りとなつた場合には、銀行に対する割引依頼者は手形に裏書していなくても、銀行取引約款等により実際には裏書人としての責任を追求されるのが実情である。本件手形の割引依頼者である抗告人がその責任を果して手形を回収し、白地部分を補充し、いざ最終責任者である振出人の責任を追求しようとしたところ、振出後補充前に詐害行為がなされているからもはや手遅れだ、とする原審の見解には到底承服できない。
従つて、白地手形の所持人は振出人が振出後になした詐害行為につき、何時でも白地を補充して当該行為の取消しを訴求することができるものと解すべきである。よつて、本件仮処分命令申請の被保全権利は、十分具わつているものというべきであり、原決定は取消しを免れない。
二当裁判所の判断
1 抗告人の白井章に対する債権
疎甲第一ないし第三号証、第五号証及び記録中の電話聴取書によると、白井製作所こと白井章は昭和五五年六月二三日受取人欄を白地とする本件手形を振出し、これを名徳木材株式会社に交付し、右株式会社は愛知県木材買方協同組合において手形割引を受け、これを同協同組合に交付譲渡したこと、右協同組合は本件手形の満期の翌日である昭和五五年一二月一日支払場所にこれを呈示したところ、その支払を拒絶されたこと、その後、名徳木材株式会社の代表取締役であつた抗告人は、右株式会社が昭和五五年八月一五日破産宣告を受けたため、愛知県木材買方協同組合から、個人資産をもつて本件手形を買戻すよう求められ、昭和五六年三月末頃右協同組合から本件手形を買戻して期限後裏書を受け、その頃本件手形の受取人欄に愛知県木材買方協同組合の名称を記載し白地を補充したことが一応認められる。
右認定事実によれば、本件手形について、手形法の要求する手形要件が完備するに至つたのは、抗告人が受取人欄の白地を補充した昭和五六年三月末頃であるから、抗告人は右補充時に本件手形の振出人である白井章に対して手形債権を取得したものといわざるを得ないが、本件手形のように受取人欄を白地とする約束手形の所持人が白地を補充したときは、次に述べる理由により、振出後補充前における振出人の法律行為に対しても民法四二四条による取消権を行使できるものと解すべきである。
本件手形のような受取人欄を白地とする約束手形は、振出人の振出当時における一般財産をその信用の基礎として流通におかれ、経済的には完成手形と同一の価値を有するものとして取引の対象とされていることは周知の事実であるところ、かかる白地手形の所持人は、時効によつて白地補充権が消滅しない限り、何時でも白地を補充して完全な手形上の権利者となり得る法律上の地位を有するから、振出人の振出当時における一般財産の保全について法律上の利益を有するものということができる。一方、かかる手形の振出人は近い将来白地の補充によつて手形債務が発生することを当然予期すべきであるから、振出後補充前に一般財産の減少を図り、白地手形の所持人の前示法律上の利益を害することは許されないというべきである。従つて、このような場合には補充が現実になされ手形債権が発生するとともに、手形所持人に詐害行為の取消権を認めるのが、債務者の詐害行為の効力を否認して債権者の予期した担保利益に対する侵害の回復を図るという民法四二四条の目的に適うといわなければならない。すなわち、民法四二四条の債権者の中には、前記のような法律的地位を有する者も含まれると解するのが相当である。
2 詐害行為の成否
疎甲第一号証、第六号証の一ないし三、第七ないし第一〇号証によると、白井章は製材業を営んでいた者であるが、木材の主たる買付先としては、抗告人が代表取締役をつとめていた名徳木材株式会社と相手方とがあり、相手方との間には一〇年来の取引があつたこと、白井章は、昭和五五年九月一七日、同月二七日に不渡手形を出し、同月二九日銀行取引停止処分を受け倒産したが、これより先の同年八月二七日唯一の財産ともいうべき本件不動産を相手方に売却し、同年九月二日その旨の所有権移転登記手続を経由したこと(なお、右登記時には、本件不動産に対し豊橋信用金庫を権利者とする債権元本極度額五五〇万円の根抵当権設定登記が付着していた。)、右売却当時、白井章は名徳木材株式会社に対してだけでも約五〇〇〇万円の債務を負担していたことが一応認められる。
右認定のように、名徳木材株式会社に対してだけでも約五〇〇〇万円という多額の債務を有する白井章が、その唯一の財産ともいうべき本件不動産を取引先である相手方に売却し相手方に対する債務の消滅を図ることは、特段の事情の疎明のない本件においては、債権者たる抗告人を害するものと認めるのが相当であり、しかも、右認定の事実によれば、白井章はもとより相手方においても本件不動産の売買が債権者たる抗告人を害するに至ることを知つていたものと推認することができる。
そうすると、抗告人は民法四二四条により、白井章と相手方との間の本件不動産の売却行為を詐害行為に該当するものとして、取消権を行使することができるものというべきであり、抗告人は本件仮処分の被保全権利を有するものと一応認められる。
3 保全の必要性
本件不動産が相手方によつて第三者に売却される等の処分がなされると、抗告人が前記取消権を行使することが著しく困難となることは明らかであるから、抗告人が本件不動産に対し処分禁止を求める保全の必要性があることも一応認められる。
4 結論
よつて右と判断を異にし、相手方に対する本件仮処分申請を却下した原決定は不当であるからこれを取消し、保証を立てることを条件として、本件不動産に対する処分禁止の仮処分を命ずることとし、主文のとおり決定する。
(瀧川叡一 早瀬正剛 玉田勝也)
物件目録<省略>